PROJECT 01
令和元年度
実施主体:八幡平市安代漆工技術研究センター
拠点:岩手県八幡平市
開始:昭和58年4月
Overview
岩手県八幡平市発
漆工技術後継者育成事業
八幡平市安代漆工技術研究センターは、漆工技能者を36年にわたり育成し、安比塗の伝統技能の継承と漆器産業の後継者を育成しています。「教える」ことに徹した指導法は、短期間の技能の習得を可能にし、「安比塗」の技能を持った修了生は全国で活躍しています。
代表者
Interview
一人前の塗師になるには、10年かかると言われています。
「見て覚える」ではなく「教える」ことで、それは短縮できると思います。
代表者プロフィール
代表者プロフィール
八幡平市安代漆工技術研究センター
冨士原文隆 さん
昭和31年生まれ。木地生産に携わったあと、岩手県工業試験場(当時)で漆器生産の技術を学ぶ。昭和58年「安代町漆器センター(当時)」の設立に関わり、以後、後継者の育成に尽力する
背景ときっかけ
漆器の伝統を後世に伝えるため
後継者育成の“研修所”を設立
八幡平市が安代町、西根町、松尾村の合併で誕生したのは、平成17年です。OBや研修生が「研修所」と呼んでいる「八幡平市安代漆工技術研究センター」はその時改名されたもので、昭和58年の設立時は「安代町漆器センター」という名称でした。その頃は市町村がそれぞれ1つの特産品を育てる「一村一品運動」が全国的に盛んで、当時の伊藤重雄町長が推進したのが漆器の後継者育成でした。
今でも国産漆の7、8割は岩手県産で、その全てが隣町の二戸市の浄法寺地区で採集されています。八幡平市北部を源流とする安比川流域は、かつて「浄法寺塗」の一大産地でした。安比川上流、今の安比スキー場周辺で木を伐採し、麓で木地を作り、安代で塗り、それが浄法寺の市で売られていたことから「浄法寺塗」と呼ばれていたのです。
最盛期には500人いたと言われる安代の塗師も昭和50年代には数人を残すだけになっていました。その漆器の伝統を後世に伝えるために設立されたのが研修所です。また、同時に行われたのが「安比塗」の命名です。当事できた安比スキー場のお陰で、「安比」の名は全国に知られていました。それで、その名前を使って「安比塗」をその時初めて名乗ったのです。
これまでの取組・今後の展開
「見て覚える」ではなく「教える」
10年必要な塗師の修業を2年で
研修所の役割は塗師を育成することです。研修期間は基礎課程2年、希望すればさらに専攻課程が1年あります。
基礎課程では、私が教えられる限りの塗師の技能・技術を全て教えています。道具の製作に始まって、木地製作、漆の精製・調合、下地、塗り、加飾など、実践的な指導を行っています。また、蒔絵、乾漆造形、立体造形など研修分野も多岐にわたリます。そのため、少人数指導が基本です。毎年入学する研修生は多くて3人。研修所を始めて36年ですが、これまでの卒業生は70人弱に過ぎません。しかし、その半数以上は今も塗師として全国で活躍しています。
また、専攻課程は、技能・技術以外の、塗師として生活していくためのデザイン力、量産化、商品化、販売などの知識を身につけるためのもので、平成29年4月から開設しました。
一人前の塗師になるには10年の修行が必要だと言われます。職人の世界ではよく「見て覚えろ」と教えられますが、研修所では最初から「教える」という考え方をしてきました。数値化できるものは数値化し、どう教えるかにも腐心してきました。私自身が20代に岩手県工業試験場で当時の漆器生産の最先端技術を学んだ経験からきています。台湾、ドイツ、オランダなど言語や文化の違う海外の研修生をスムーズに受け入れられたのも、その経験があったからです。今年も1ヶ月間、フランスから研修生が来ます。
メンバーズインタビュー
漆かぶれの克服から
研修は始まります
冨士原文隆さん
昭和58年から36年間、塗師の後継者の育成に当たる
太田美穂さん
基礎課程2年。山形県出身。13年会社員をした後、研修所
井上由希子さん
基礎課程1年。神奈川県出身。中川政七商店に2年勤務後研修所に
同じ研修所で同じ技能・技術を
学んだ70人の塗師
── 基礎課程の2年間で、どのようなことを教えるのでしょうか。
冨士原 まずは「漆かぶれ」に慣れることから始まります。作業として最初に教えるのはヘラや刷毛といった道具の作り方です。塗師は自分で使う道具は自分で作るのが基本です。例えば、漆を混ぜる時などに使うヘラはヒノキを細長い三角に切って、カンナがけして作ります。自分に合ったヘラ先の形としなりが作れるようになることが第一歩です。
並行して、「手板(ていた)」と呼んでいる12cm×15cmくらいの平らな板を使って、木固め、下地、中塗りなどの技能練習をします。平らなものに平らに塗るくらい難しいことはありません。このあたりで、3ヶ月たっています。この頃になると「漆かぶれ」も治まる頃で、お椀やお盆の塗りに入ります。2年生は、木を使わず麻布などを漆で貼り合わせて素地を作り、漆を塗って仕上げる「乾漆」などにも取り組みます。そして、卒業制作では作品展に出せる、売り物としてお店に持って行けるレベルの仕上がりを目指します。
── 塗りはお椀やお盆が中心ですか。
冨士原 なんでも塗れなければ、商売になりません。実は研修所は、授業料も材料費も無料で、費用は市が全額負担しています。それをカバーするために始めたのが「安比塗漆器工房」(詳しくはコラム参照)から木地を提供してもらうことです。工房で販売する器や箸、スプーンなどさまざまな木地を提供してもらい、それを中塗りまで仕上げて返すということをしています。
── 授業料無料の代わりに、研修所で学ぶ条件はあるのですか。
冨士原 将来、塗師を仕事にする志があることだけです。八幡平市で仕事をすることも条件にしていません。残念ながら、まだ、すべての卒業生がこの地で塗師として、生活できる基盤がありません。各々の力で生活できる場所、住みやすい場所で、塗師として生きています。安比塗漆器工房に大量発注が入ったときには、卒業生に発注しています。通信技術が発達した現在においては、同じ研修所で同じ技能・技術を持った卒業生が70人いるということは、安比の地に70人の塗師がいることと変わりありません。
自分でコントロールできない
漆の面白さ
── 研修所に入ろうとしたきっかけはなんですか。
太田 山形で会社員を13年やっていて、塗師になろうと決心した時は、年齢制限に引っかかる学校ばかりでした。市の運営で、年齢制限なし、授業料無料というところは私の知る限りほかにありません。ここを知ったのは、ネットを検索していて、たまたま過去の募集要項を見つけたのがきっかけです。「ここだ!」と思って、それから募集時期の10月には市役所のホームページを1日に何度も見ていました。
井上 ここに来る前は、生活雑貨工芸品の中川政七商店の横浜店で販売の仕事をしていました。研修所を知ったのは中川政七商店の創業300周年イベントで売っていた「いわてのうるし」という冊子です。その中にこの研修所が紹介されていたのです。すぐ来たかったのですが、ここでの生活費を貯めるのに、それから2年かかってしまいました。
── 研修所のイメージは、入る前と後で変わりましたか。
太田 入る前は職人の修行を想像していて、言葉では説明してもらえないと思っていましたが、まるで逆でした。ものすごく丁寧で、聞けばなんでも教えてもらえます。
──漆の面白さをどこに感じていますか。
井上 自分ではコントロールできないところですね。漆は取れた場所や時期で性質が違うし、その日の温度や湿度でも乾きの速度が違います。漆は化学反応で乾くので、雨の日の方が乾きが早いのです。都会では自分の感覚を閉じていた方が生きやすい時もありますが、漆を扱うには、自分の感覚を研ぎ澄まして、漆の今の状態を感じ取る必要があります。道具も自分で作るのが当たり前です。そういう今の世の中とは違う価値観で動いている漆が、私は好きですね。
FOCUS
プロジェクト関係者に聞く
製造販売の現場が教えてくれたこと
私が「八幡平市安代漆工技術研究センター」の研修生になったのは17年前、愛知教育大学を卒業してすぐのことです。その頃の私は車もなく、アパートと研修所の行き帰りだけの毎日だったのですが、今思えば、漆のことだけを考えていた本当に贅沢な2年間だったと思います。
「安比塗漆器工房」は安比塗の製造販売を行う工房で、私が研修所に入る少し前の平成11年にできています。研修所のOBも増え、彼らの作品を販売する場所が必要ではないかということで作られたのです。
安代町が八幡平市になる平成17年に私は工房で働き始めたのですが、その後、工房は道の駅や温泉の経営も行っている八幡平市の第3セクターの運営になりました。漆器のような専門性の高い商品の扱いは大きな組織には難しい面があります。それで、八幡平市の後押しもあって、平成29年研修所の塗師仲間4人と「安比塗企業組合」を設立し、工房の運営を行うようになったのです。
同時にその年、研修所に「専攻課程」が設けられ、それを安比塗企業組合で請け負うことになりました。製造販売の現場で、量産、営業、管理、販売などを1年間学んでもらうのですが、それは私自身がこの工房で学んできたことでもあるんですね。
これまで研修所のOB展を平成21年と25年の2度開いています。1回目は26人、2回目は32人が参加しています。そういう時の連絡の起点になるのもこの工房です。
安比塗はふだん使いの漆器です。漆器を使う楽しさを一人でも多くの人に知ってもらうことが、当面の工房の目標です。