PROJECT 04
平成30年度
運営組織:下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会
拠点:東京都大田区
開始:平成23年11月
Overview
“夢”があれば、どこまでも走ってゆける。
下町の力を結集し、世界の頂をめざす物語。
高度な加工技術をもった中小製造業の集積地、東京都大田区。下町らしく、かつては肩を寄せ合い、業界を盛り上げてきました。しかし、時代の流れとともに大手企業による生産拠点の海外移転等の影響を受けて受注量が減少・・・。「このままじゃいけない。大田区の技術力で、ものづくりを面白くしていこう!」。ものづくりに携わる、若き経営者たちが一丸となって立ち上げた、『下町ボブスレーネットワークプロジェクト』。各企業がそれぞれに強みとする専門分野を結集して、世界最速のマシンをつくりあげたい!職人たちの熱き挑戦は、ここから始まりました。
代表者
Interview
代表者プロフィール
代表者プロフィール
下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会 第4代委員長
黒坂 浩太郎 さん
昭和44年生まれ。株式会社三陽機械製作所 代表取締役。金属加工で70年以上の歴史のある同社。プロジェクト開始当初から、最新鋭の同時5軸加工機を用いて世界最速のボブスレーづくりに貢献する。平成30年より、当プロジェクトの今後の旗振り役として、4代目委員長に就任した。
背景・きっかけ
自分たちの技術力を、
世の中にアピールしたい。
大田区には、さまざまな分野のものづくり企業がたくさんあります。しかし、時代とともに仕事量は減少し続けていました。このまま下請け仕事を待つのではなく、大田区の中小製造業の力を結集し、自分たちの力で最終製品を企画・開発・製作する力があることをアピールしていかなければ。そう考えていた時に、大田区産業振興協会の方からボブスレー製作の話を持ちかけられたのです。自分たちの技術力を世界にアピールできる場になるならば、そこから下町ボブスレープロジェクトはスタートしました。
これまでの取組み
開発した大田区のソリが、
大舞台で活躍する姿を夢見て。
発足当時は、10社くらいでプロジェクトを開始。短期間で協力し、ソリの開発は間に合いました。ソチ五輪を目前に控え、一時は日本中から脚光をあびた当プロジェクト。しかし、ここからが本当の闘いでした。日本代表やジャマイカ代表との交渉は難航し、オリンピックの舞台では不採用に…。それでもなお、全国から僕らの取組みに賛同してくる会社は増え続けています。活動開始から7年ほどの間に、100社近いネットワークを構築。今では大田区と全国のものづくり会社の間に、深い絆が生まれています。
今後について
世界に挑み続けることで、
日本のものづくりに勇気を。
プロジェクトメンバーが一丸となって頑張ってきたんですから、ここで諦めるわけにはいきません。これまでに製作したマシンの改良を続け、世界と闘えるソリの開発を試みたいと思います。そして、現在に至るまでに構築したネットワークが、新たなビジネスチャンスも生みだしました。これを機に知り合った仲間内の会社と協同し、今までできなかったような製品開発を可能にしたのです。小さな会社でも、力を合わせれば大きな舞台で闘える。ボブスレーとビジネスで、それを証明してみせます。
PROJECT STORY
自分たちがつくったものが、人々から応援される。
これが僕らに、どれだけ力をくれることか。
黒坂 浩太郎さん
株式会社三陽機械製作所代表取締役。平成30年より、当プロジェクトの今後の旗振り役として、國廣氏の想いを受け継ぎ、4代目委員長に就任した。
野川 聡さん
同じく、株式会社三陽機械製作所。マシニングセンタ主任として、ソリの一部品であるプッシュバーの開発を行った、当プロジェクトの中心人物。
走りだしたきっかけは、
ただ純粋に、面白そうだから。
黒坂さん 私たちは金属加工の会社。最新鋭の同時5軸加工機などを用いて、ソリを押す時に手をかける「プッシュバー」の製作を担当しています。國廣さんと同様に、開発初期からこのプロジェクトに参加しました。正直、始めは「え、ボブスレーってなに!?」と困惑しましたけどね。知っているのは名前だけでしたから。
野川さん 特にスタート時は完成納期まで余裕がなく、時間との闘いでしたね。たたでさえやったことのない初めてのソリづくり、普段はあまりない“他社さんと協業してひとつのものをつくりあげる”というプロジェクト。そこには苦労しました。
黒坂さん あの協同製作で、会社間の距離はだいぶ縮まりました。加工、溶接、仕上げ、塗装。餅屋は餅屋という考えで、それぞれのプロが力を合わせれば、大抵のことはなんとかなるものだと、我ながら感心しました。もちろん通常業務を抱えつつ、新しいことにチャレンジするのは大変。それでも当社が参加したのは、ただ純粋に「ものづくりとして、面白そうだな」と感じたから。多少大変なことがあっても、それ以上に大きなものが得られるんじゃないかと思ったんです。
「頑張れ、負けるな!」
地味な加工技術が、
地元の誇りになった日。
野川さん 開発までは、ひたすら手を動かしました。うちのパーツだけではなく、胴体部分とのマッチングなどを考えながら進めるのが大変でしたね。毎日のように夜遅くまで残り、なんとか間に合わせました。
黒坂さん それでも妥協はしませんでした。平成24年の秋に完成して、すぐさま12月の全日本選手権でソリが使われて、まさかの優勝。あれには驚いた。
野川さん 感動しましたね。自分たちの製品は企業向け。日頃は世間の人たちに見られることがないじゃないですか。あれだけマスコミに取り上げてもらったので、「あの下町ボブスレーのパーツ(プッシュバー)、俺がつくったんだ」と、故郷の両親にもだいぶ自慢しちゃいました(笑)。
黒坂さん 何よりも大きかったのは、地元からの声援。この取組みのおかげで、近所の人たちが三陽機械製作所の名前を覚えてくれた。「テレビで観たよ。オリンピックの落選、残念だったね。これからも応援するから頑張って!」。最終的に採用されなかったのは悔しいけど、社員みんなの表情が変わったよね。普段は物静かなスタッフが、「社長。ボブスレーの次は、リュージュをつくりましょう!」なんて提案をしてきたり。姿勢が前のめりになったのを、はっきりと感じています。
中小零細100社の力を、
大手企業1社よりも強い力に。
黒坂さん 本プロジェクトの目的であった、「大田区のものづくりの力を世界にアピールする」という意味では、成功したとは思います。現在のプロジェクト参加企業は100社ほどにのぼり、メディアに取り上げられたことで、全国からもお声がかかるようになりました。
野川さん ほかの会社さんと仕事をすることが増え、僕もいろいろ刺激を受けています。
黒坂さん 恥ずかしながら取組みが始まる前は、大田区のほとんどの企業とお付き合いがなく…。これまではお互いに手の内を見せずに、ライバル企業としか見ていなかった節もあります。けれど、今は巨大なネットワークができ、協力しながら新しいことにチャレンジできる環境になりました。
野川さん 他社とタッグを組むことで、自分たちが得意とする加工以外の技術や知識も学べ、技術者として新しい境地を拓けています。
黒坂さん 我々はこれからも、大田区産のボブスレーで世界をめざします。でも、それがゴールじゃない。大手1社だとできないような、人と人との繋がりで生みだせる、ワクワクするものづくりをしたい。個性に溢れる中小の製造業100社が集い、そこで働く職人たちの頭脳と技術力を駆使すれば、もっともっと面白いことができるはず。製造業で働く人たちが、夢をもてるように。「諦めなければ、なんだってできるんだ」ということを、大田区から発信していきます。
Column
プロジェクト関係者に聞いてみました。
競い合う相手は、昨日までの自分たち。ものづくりにゴールはない。
平成24年12月の全日本選手権での初優勝後も、翌年3月には国産ボブスレーでは初出場となる国際大会に参加。その後、日本やジャマイカ代表との合意をめざしましたが、ソチに続き、平昌五輪での公式採用に落選。残念ながら平昌五輪への夢は破れました。しかし、現在もマシン(ソリ)の改良を続け、現在の10号機は非公式ながら世界トップレベルのタイムを叩き出せるまでになりました。これから目指す舞台は五輪の表彰台ですが、それがゴールじゃない。氷上を0.01秒でも速く駆け抜けるマシンをつくるために、持てる技能のすべてを注ぎ込んでいければと思っています。