PROJECT 09
令和元年度
実施主体:沖縄県畳工業組合
拠点:沖縄県那覇市
開始:平成25年8月
Overview
沖縄県那覇市発
沖縄県産イグサ(ビーグ)を使用した「へり無し畳(琉球畳)」の加工手順法の継承及び後進技能者の育成活動
沖縄県畳工業組合は、県内の畳工などに本土産よりも扱いが難しい沖縄県産イグサ(ビーグ)を使用したヘリ無し畳(琉球畳)の加工手順法を継承しています。また、小中学校向けの「ものづくり体験教室」にも参加。畳の良さを伝え琉球畳の周知にも努めています。
代表者
Interview
昔は店で作業中に他店の職人が来ると作業を止め、お茶を勧めていました。
技術を見せないためです。そういう時代は終わったと思いますね。
代表者プロフィール
代表者プロフィール
沖縄県畳工業組合 理事長
岩本久和 さん
昭和31年生まれ。八幡大学(現九州国際大学)卒。沖縄育英社を経て昭和55年父の経営する久雄畳店入店。令和元年から畳工業組合理事長
背景ときっかけ
内地のイグサより3倍太い
「沖縄ビーグ」をどう加工するか
久雄畳店として首里城正殿の畳の復元に携わりましたが、琉球時代の畳は実物が残っていないため詳しくわかっていません。沖縄で一般に畳が作られ始めたのは大正時代からです。その頃は沖縄に自生している七島イ(琉球イ草)を裂いて織り込んで畳表にした「サチイ」が使われていました。
現在の沖縄の畳表に使われているのは、昭和10年頃に福岡県の柳川から入ってきたイグサの苗が元になっています。沖縄では、内地から入ってきたイグサを「ビーグ」と呼びます。沖縄で育った「沖縄ビーグ」は、内地のイグサに比べ3倍ぐらい太く、硬いのが特徴です。光沢があって丈夫なのですが、イ草を折らずに曲げるには技能・技術がいります。1本1本の茎が太いため、へり無し畳の場合は畳と畳を合わせたときに隙間ができない工夫も必要です。
こうした加工技能・技術は沖縄の畳店では各店の秘密でした。店で作業中に他店の職人が訪ねてくると作業を止め、お茶を勧めてユンタク(おしゃべり)に徹し、技術を見せないようにしていたのです。そうした習慣を改め、沖縄の畳づくりの技能・技術を組合員で継承していこうというのが、今、組合が取り組んでいることです。
これまでの取組・今後の展開
各店の秘密だった「寸取り」の公開
「ものづくり体験教室」への参加も
沖縄の畳協同組合は昭和24年に任意組合として発足していますが、当時は沖縄に畳店は10店ほどしかありませんでした。以後、2度の改組を経て、昭和50年、沖縄県畳工業組合として法人化していますが、当初の畳店は120店に増えました。今も沖縄には110店の畳店がありますが、沖縄も畳の需要が減っているのは確かです。
こうした中で、組合の重要な役割の一つは技能検定の試験前の技能実習でした。今の畳は機械製作がほとんどで、手縫いは畳の角や柱の出っ張り部分を除いてありません。技能検定合格に必要な手縫い技能を改めて身につけるのも実習の役割です。
これに近年加わってきたのが、店ごとに秘密にされてきた技能・技術の公開です。「寸法学」基礎実技講習会もその一つで、物差し、針、糸による「寸取り」を学ぶものです。それから、先ほど言った「沖縄ビーグ」の加工は、益田前理事長や私の店に伝わってきたやり方、自分たちで工夫してきた加工手順を組合員に公開する形で技能・技術の継承を図っています。
また、技能・技術の継承以外では沖縄県職業能力開発協会と技能士会連合会と連携して、県内小中学校の「ものづくり体験教室」に参加し、畳の良さや琉球畳の周知と普及活動にも力を注いでいます。
メンバーズインタビュー
工夫してきた技能・技術を
若い世代に公開
益田伸次さん
沖縄県畳工業組合理事。前理事長。平成30年度に現代の名工
大城公亨さん
大 源 畳 店3代目。畳職人歴9年
久 勇司さん
ひさし畳店3代目。畳職人歴8年
設計事務所のネーミングから
生まれた「琉球畳」
──「へり無し畳」を「琉球畳」と呼ぶようになったのは、いつ頃からですか。
益田 20年前くらいには、内地でそう呼ぶようになりましたね。平成元年頃、内地の設計事務所が「へり無し畳」を「琉球畳」と呼んだのが始まりです。沖縄ビーグで作った畳には「へり有り畳」もあるのですが、「へり無し畳」の方が見た目がいいというので、その後もいろいろな設計事務所や建築会社が「琉球畳」として広めてくれたんですね。
── 沖縄ビーグはへりを曲げるとき折れやすいということですが。
益田 私も若い頃はビーグを水に浸けて曲げていました。全体を水に浸ける人もいれば、両端だけ浸ける人もいる。店によってやり方はいろいろでした。あまり長く浸け過ぎるとビーグが変色してしまいます。温度や湿度によって水に浸ける時間も変わります。それも、それぞれの畳店の秘密でした。ビーグを曲げる工程をもう少し簡単にできないかということで考えだされたのが、スチームを当てながらビーグを曲げる現在の手法です。そういう私たちの世代が工夫してきた技能・技術を若い世代にも継承しようというのが今日の実習です。
── 益田さんは畳の「寸法学」の講習会もやられていますね。
益田 昔は部屋の寸法の取り方も秘密だったんです。大きな県営住宅になると20店くらいの畳店が入りますが、他の畳店が寸取りしている部屋に入ろうとするとドアを閉められたものです。畳店によって測り方も違えば、測る道具も違いました。番匠金(指金)を使う人もいれば、墨壺を打つ人もいる。ベニヤ板で直角を出している人もいました。
一方、今の若い人はレーザーで測るのが当たり前になっていて、寸取りの基礎を知らない人が多くなっています。扇型をした部屋のような変形の部屋の寸取りは、そもそもレーザーで測るのも難しい。どんな部屋でも測れるようにするためには、物差し、針、糸を使った昔ながらの寸取りが一番応用が効くんですね。それで行ったのが講習会です。
── 今は部屋の形や大きさに合わせて畳を作っているということですか。
益田 だから、寸取りが大事なんです。畳の部屋も減りました。昔は6畳2間に4畳半、16.5畳の畳の間が基本だったアパートも、今は4畳半1間が畳だったらいい方です。最近の琉球畳は半畳タイプが人気で、1畳より当然割高です。4畳半でも9枚必要で、それが畳店の経営を助けているところがあります。そういう意味でも、みんなで琉球畳を盛り上げていく必要があると思っています。
「こんなやり方があったんだ」
目からウロコの講習会
── おふたりは、畳職人になってどのくらいですか。
大城 30歳を過ぎて大源畳店を継いで、今年で9年目です。4人兄弟の3男なのですが、店を継いでいた次男が10年経って辞めてしまったんですね。それから5年くらいブランクがあって、僕が継いでいます。
久 僕も他の仕事をしていたのですが、20歳の時に父親が体調を崩して、母親だけに畳店をやらせるわけにはいかなくなって、ひさし畳店を継ぎました。今年で8年目です。
── 今日の講習会は、どうでしたか。
久 自分なりのやり方はありますが、違うやり方を学べて勉強になります。僕の場合は、父親から教えてもらえなかったので、こういう機会はありがたいですね。
大城 正直、僕は組合の講習会には技能検定の試験前くらいしか参加したことがなかったのですが、今日の講習会は目からウロコでした。同じ材料・道具を使うにしても、使い方がこんなに違うんだと思いました。
── 琉球畳が全国的に知られるようになりましたが、実際の仕事に影響していますか。
久 「琉球畳で」という注文は建築会社から入ることが多いですね。
大城 お客さんから直接注文がくる場合は、内地から沖縄に引っ越してきた人の方が「琉球畳」と言って注文してくることが多いと思います。ただ、そういう時は必ず「へり無し畳ですよね?」と確認します。沖縄では、「へり有り畳」の注文もまだまだあるからです。親世代は技術を教え合うことはなかったですが、世の中は変わってきている。今回のような講習会は、ぜひ続けて欲しいと思いますね。
FOCUS
プロジェクト関係者に聞く
「ミニ六角畳」づくりで伝える畳の魅力
沖縄県地域技能振興コーナーでは、沖縄県技能士会連合会などと連携して、県内の小中学校などで「ものづくり体験教室」を開催しています。沖縄県畳工業組合の協力で行っている「ミニ六角畳」の制作もその一つです。実際に針と糸を使って畳表と畳べりを縫い、3時間の体験教室で完成させるというものです。
「ものづくり体験教室」は沖縄そばづくりや赤瓦の絵付けなど約10種類のメニューがありますが、その中でも「ミニ六角畳」は花瓶敷きや鍋敷きにちょうどよく、子供たちの親御さんからも好評です。
沖縄県畳工業組合には現在39人の「ものづくりマイスター」がいますが、体験教室にも毎回、協力者を派遣してもらっています。体験教室の中では、子供たちに畳づくりに対する関心を持ってもらうために、畳づくりの工程や沖縄ビーグ、そしてもちろん、全国的に人気のへり無しの「琉球畳」の話も、ものづくりマイスターから行われます。
今後も沖縄の畳文化、技能・技術を広める活動のお手伝いができればと思います。