PROJECT 05
令和元年度
実施主体:株式会社イスルギ
拠点:石川県金沢市
開始:昭和27年4月
Overview
石川県金沢市発
事業所内技能訓練校による
人材育成と技能伝承
働きながら左官の技能が学べる、独自の事業所内技能訓練校において技能者を育成し、古式左官工法の技能・技術の後継者を育成する取組を昭和27年から展開。石川県の左官技能者養成機関として確固たる地位を確立しています。
代表者
Interview
これからの左官は「多能工」であるべきだと考えています。
全ての職人が「名工」になれるわけではありません。
しかし、職人として食べられればその中から「名工」は育つからです。
代表者プロフィール
代表者プロフィール
株式会社イスルギ 代表取締役社長
石動信明 さん
昭和24年生まれ。大正6年創業のイスルギの社長を20代で継ぐ。石川県左官業組合連合会会長、日本左官業組合連合会副会長
背景ときっかけ
徒弟制度の人材養成の限界から
事業所内技能訓練校をスタート
イスルギは、大正6年に祖父が金沢で創業した左官の専門工事業者です。富山城出入りの左官「石動(いするぎ)屋」の次男だった祖父は、「いするぎのおやっさんの鏝こて使いは天才だ」と言われるほどの職人でしたが、戦後、これからは鉄筋コンクリート建造物が多くなると、住宅の左官からビルの左官に力を入れました。「ビルの仕事をするには職人の数が足りない。これまでの徒弟制では人の養成に限りがある」。それで昭和27年に始めたのが、左官の事業所内技能訓練校、現在の「イスルギ付属技能専門校」でした。左官の技能訓練校を社内に持つのは日本で初めて。当時から授業料は無料で、給料も支給されました。
高卒採用が多い今は研修期間1年ですが、当時は中卒採用で研修期間は2年。研修生は寮で暮らし、昼間働き夜は授業。体育や道徳の授業もありました。ただの職人ではなく、人を育てることを目的にした技能訓練校でした。
最近は左官工事も減り、職人の高齢化も進んでいますが、イスルギは事業所技能訓練校のおかげで代々職人を補充でき、職人の平均年齢が今も37歳と非常に若い要因になっています。
これまでの取組・今後の展開
左官は「多能工」であるべき
その中から名工は育つ
イスルギは富山、福井、大阪に支店がありますが、研修期間中は本社のある金沢で全員研修生活を送ります。毎週月曜日は授業で、火曜日から金曜日は現場に出ます。授業は学科と実技があり、建築など左官以外の学科は外部講師に依頼しています。また、実技は左官だけでなく、関連会社の協力を得て、タイルの実習も行っています。
研修にタイルの実習を組み入れているのは、これからの左官は「多能工」であるべきだと考えているからです。コンクリートの床を一発仕上げする技術が戦後アメリカから入ってきたのですが、それは土間屋の仕事で、モルタルを増し打ちしてコテで仕上げる左官の仕事とは別だという考え方が特に東京や大阪の左官職人には残っています。しかし、左官の仕事が減っている今、そういう考え方では食えなくなってしまうだけです。
イスルギでは新人研修だけでなく、入社10年目の研修にも力を入れています。そこでは階段の仕上げの実習も行っています。10年のキャリアがあっても、現場仕事で階段を左官が仕上げることがなくなってきているからです。イスルギは姫路城や金沢城など歴史的建造物の施工も行っていますが、職人全員が名工になれるわけではありません。職人として食べていける技能の習得、企業として左官の技能を継承する仕組みこそが大事だと考えています。
メンバーズインタビュー
授業は毎週月曜日
学科と実技を隔週で実施
坂本仁志さん
イスルギ付属技能訓練校の実技講師として5年。入社23年目
田中千智さん
高校卒業後、令和元年4月入社
平山翔太さん
高校卒業後、海上自衛隊に3年勤め、令和元年4月入社
訓練校の目標は
研修数年後の技能検定合格
── 事業所内訓練校の教室はイスルギの寮にあるんですね。
坂本 実技講習は本社の倉庫で行うことが多いですが、学科はイスルギの寮の3階にある教室で行います。研修生は男子は寮、女子は寮近くのアパート暮らしが基本で、毎週月曜日の授業は、学科と実技を隔週で行います。その左官の実技講師が私の役割です。
── 実技は何から教えるのですか。
坂本 最初にやらせるのは1枚の板から道具箱を作ることです。研修生になるとクワと大小10本のコテを会社から支給されるのですが、そのコテを入れる岡持ちのような道具箱をまず作ってもらいます。作る過程を見ていると、研修生それぞれの技量がだいたいわかります。それから、実技を教える時は「やって見せる」「質問させる」を基本にしています。自分で疑問に思わないことは身につかないんですね。
── 1年後にこのレベルになってほしいというような目標はあるのですか。
坂本 訓練校修了時に技能照査はありますが、目標はそれより先ですね。研修修了1年後に左官職種2級、その3年後に1級に合格することを目標にしています。試験前はこれまで教えてきた研修生が本社の倉庫で練習しているのですが、その指導も行っています。
── そこまでが実技講師の役目ですか。
坂本 というより、「坂本が教えた子は出来が悪い」と言われるのは嫌じゃないですか。実技講師になって5年目ですが、私が初めて教えた研修生が今年、左官職種1級を受検しました。学科はこれからですが、実技は金沢で3人、富山で2人が合格しました。うれしいというより、ホッとしましたね。
左官は生ものを扱う仕事なんです。水と粉体を合わせて、固まる前に施工し終える必要がある。途中で止めたら壁の色がそこから変わってしまうし、雨の日には外仕事はできない。左官は建築の中でも難しい仕事だと思いますね。自分自身の経験から言っても、左官の仕事が面白いと思えるようになるのは仕事を始めて4、5年経ってからです。仕事を任されるようになって、いろいろ失敗していく中で、ある日、自分のやった仕事が褒められる。そういう小さいことがきっかけで、仕事は面白くなっていくものだと思います。
大阪では学べないことが
金沢ではたくさん学べる
── 今日は金沢城の鼠多門での実習ですが、どうですか。
田中 先輩に鼠多門で実習だと言ったら羨ましがられました。入社した頃は、こういうところで実習できることがどんなにすごいことか知らなかったですね。私は金商(金沢商業高等学校)出身ですが、簿記よりものづくりが向いていると思い、就職活動は建築関係の会社にしました。イスルギを選んだ理由は、その時、動画で見たイスルギの女性左官がすごくかっこよかったからです。実際やってみると、技能の習得も大変だし、今日のシートに覆われた鼠多門の中での作業もそうですが、体力的にもかなりハードな仕事だと思いますね。
平山 城の修復ができる左官業者は、全国でも一握りだと思います。僕は、イスルギで学べるものはすべて学びたいと思っています。高校を卒業後、海上自衛隊に3年勤務していましたが、将来、左官として独立を考えてイスルギを選びました。入社したのは大阪支店です。研修期間の1年間は金沢本社ですが、ここに来て知ったのは、左官は土間仕事が多いことです。大阪では土間と壁は別の職人がやっています。ここにいる間に土間仕事は100%覚えようと思っています。それから金沢には戸建ての壁塗りの仕事もまだまだあります。ビル中心の大阪の左官では経験できない仕事が金沢にはたくさんあります。そういう技能・技術をここにいる間にできるだけ身につけたいと思っています。
── 訓練校の実技講習についてはどう思いますか。
平山 坂本先生を見ていると、技は見て覚えるものだとつくづく思います。「材料を最後まで塗り切って、次に行け」とよく言われますが、それができない。坂本先生が一塗りで塗れる半分も塗れないし、コテには材料がまだ余っている。だから、仕事の早さも全然違う。それも早く覚えたいですね。
FOCUS
プロジェクト関係者に聞く
金沢城の復元工事を伝統技能の継承に
石川県では金沢城公園整備事業として、平成7年度から金沢城の復元を長期計画で進めています。消失した金沢城の建造物を順次復元し、文化遺産として後世に残すだけではなく、復元工事そのものが伝統技能の継承にもつながることを目的にしています。この事業に、左官として当初から協力していただいているのがイスルギさんです。金沢城の復元で継承された技能は県内にとどまらず、平成23年からの姫路城の修復にも活かされたと伺っています。
近年、イスルギ付属技能専門校のような認定職業訓練校は石川県でも少なくなっています。新卒者の確保には苦労しているのが現状です。
そうした中でイスルギさんは、歴史的建造物の復元だけでなく、左官の技能と材料を活かした珪藻土バスマットなどの家庭雑貨の商品化、さらには左官の塗り壁を額に入れて壁に飾る「左官アート額」のプロデュースなど、左官の技能を活かした新しい分野にも積極的に挑戦されている。その柔軟さが若い人たちを常に引きつける要因になっていると思います。