PROJECT 07
令和3年度
実施主体:熊本県立球磨工業高等学校
拠点:熊本県人吉市
Overview
地域の思いを受けとめた実践的な教育で震災復興に貢献
熊本県立球磨工業高校は、宮大工の育成を目的として、高校卒業者を対象とした2年課程の伝統建築専攻科を平成16年に設立しました。地元企業の寄付のお礼として製作した祠がきっかけとなり、地元の伝統建築物の修復などの依頼を受けるようになります。さらに、平成28年の熊本震災により被害を受けた建造物などの依頼が増え、現在、より実践的な人材育成と震災復興、地域貢献が結びついた取組が地域に広がっています。
代表者
Interview
文化財建造物が多数点在する環境を生かし、実践的な技能取得のための教育を
代表者プロフィール
代表者プロフィール
熊本県立球磨工業高等学校 校長
原田 茂 さん
背景ときっかけ
スペシャリストを育成する伝統建築専攻科の設立
人吉球磨地区は古来より林業が盛んな地域であり、また、国宝「青井阿蘇神社」をはじめとした中世からの文化財建造物が多数現存しています。平成27年には日本遺産の認定を受け、日本の文化・伝統と触れることのできる場所として知られるようになりました。伝統建築を学ぶということにおいて非常に恵まれた環境だと言えます。平成元年に、宮大工など伝統的な建造物に携わる人材育成を目的として、建築科に伝統建築コースが設立されました。文化財の修復や祠の製作にはより高度な技が必要であり、高等学校の伝統建築コースの3年間だけでは、本格的な技能を生徒たちが身に付けるのは容易ではありません。そこで、スペシャリストを育てるため、さらに、2年課程の伝統建築専攻科が平成16年に設立されたのです。
本科設立の目的の一つに、実習等で地元の豊富な森林資源の積極的な活用がありました。こうした点で地元の方々が好意的に受け入れてくれる土壌があり、設立初年度には、地元の酒造会社から伝統建築専攻科へ寄付をいただきました。お礼として、生徒たちが祠を製作し、寄贈したことがきっかけとなり、地元から伝統建築物の修復や新築の依頼を受けるようになりました。現在では、実習の一環として年に2〜3棟を製作し納めるようになりました。
これまでの取組
即戦力の宮大工を育てる、より実践的な教育
伝統建築専攻科では、宮大工として一人前の仕事ができるようなカリキュラムを組んでいます。最も単位数の多い「課題研究」や「文化財建造物実習」では、伝統的木造建築の修復や新築を通じて高度な大工技能を習得するだけでなく、文化財保存の基本理念についても学びます。建物の意匠に込められた意味や歴史的背景、民俗文化、信仰などを理解することもカリキュラムのひとつです。その他、技能検定(建築大工)2級の取得や各種競技大会に積極的に参加するなど、常に向上心を持って取り組んでいます。
地元の伝統建築物の修復等の取組が新聞などに取り上げられることで、認知度が上がり、多方面から文化財の修復や祠、神輿の新築などの相談をいただくようになりました。平成28年の熊本地震で損壊した建造物の修理・新築の依頼が増えるなど、復興支援の一翼も担っています。また、令和2年に、人吉球磨地区に甚大な被害をもたらした豪雨では、球磨郡相良村の浜宮神社の祠や人吉市温泉町の温泉神社等多くの建築物が流失しました。これらの再建・修復の依頼を受け今年度から順次手掛けていく予定です。
被災した現場に生徒が出向き、依頼者や地域の思いに応えるために責任を持って製作するということは貴重な経験です。こうした経験が仕事をしっかり理解し、高い就労意欲を育むことにつながり、高卒生に比べ就職後の早期の離職率が低いという効果を生み出しています。また、就職前に高い技能レベルを習得しているため、伝統建築を専門としている全国から採用の引き合いも多数来ています。
今後の展開
優れた指導者を確保することも重要
伝統建築専攻科が設立されてから17年の間、授業内容等について試行錯誤を繰り返してきました。現在のカリキュラムや地元の依頼を受けて行う実習方法が一定の効果を生み出しており、今後もこのスタイルを継続していきたいと考えています。
課題となっているのは、優れた指導者の確保です。県立の教育機関のため定期的に職員の異動があり、伝統建築という特殊性から他校の建築科の先生が異動して来てもすぐに対応できないこともあります。そこで、より充実した教育を確保するために、伝統建築専攻科のOBや宮大工経験者を実習教員として採用できるように働きかけていきたいと考えています。
メンバーズインタビュー
実習を通じて生まれる、
人に役立つものを作るという使命感
松本 遥人さん
(写真後列左)
専攻科1年
上地 輝星さん
(写真後列左から2番目)
専攻科1年
永石 敬大さん
(写真後列中央)
専攻科1年
古賀 翔己さん
(写真後列右から2番目)
専攻科1年
鳥越 楓樹さん
(写真後列右)
専攻科2年
松葉 英星さん
(写真前列左)
主任教諭
岩永 憲和さん
(写真前列中央)
実習教師
多武 正吾さん
(写真前列右)
実習教師
――まず、伝統建築専攻科に進学した理由を教えてください。
松本 昔から歴史が好きで、特にお城に興味がありました。木造の美しい建物を宮大工が作ったことを知り、自分も将来宮大工になりたいと思い進学しました。
鳥越 父親が宮大工で工務店を経営しています。兄も伝統建築専攻科を卒業し、現在その工務店で働いており、自分も自然と宮大工になりたいと思うようになり入学しました。
――これまでの実習で、大変だったことや楽しかったこと、印象に残っていることは何ですか。
古賀 伝統建築専攻科で身に付ける技術・技能は、自分にとって初めて学ぶものが多く最初は戸惑いました。
多武 伝統建築は、一般の大工さんに比べて道具の種類が多かったり、製作時に1/1の図面を書く「原寸描き」という昔からの独特な手法があったり、慣れるまで大変でした。
永石 実習を進めるにあたって、みんなと製作の手順などを確認しながら完成模型を作るのですが、建築はひとりではなくチームワークで行うものだと実感しました。
――ものづくりということでは、毎年「若年者ものづくり競技大会」にも参加していますね。
鳥越 今年は建築大工部門で銀賞をいただきました。金賞を獲る意気込みで大会に臨んだのですが、競技で自分の力を出し切れたと思えたので悔いはありませんでした。
岩永 「若年者ものづくり競技大会」は第1回大会からチャレンジしています。生徒にとっては自分の技能を確認できる良い機会となっています。
――将来の夢ややってみたいことについて教えてください。
松本 実習を通じて、熊本地震や水害でいかに文化財が被害を受けたかを実感しました。そうした建物等の修復ができる宮大工になって、地域に貢献していきたいです。
永石 宮大工にしかできない高度な技能を身に付けて、日本全国で人の役に立ちたいです。
上地 周りから頼られる宮大工になって、国宝や重要文化財の修復を手掛けたいです。また、自分は沖縄県出身なので、焼失した首里城の復元にも携わってみたいです。
松葉 宮大工は、ただ建物を建てるだけの職人ではなく、信仰の対象に携わる職人です。実習を通じて地域と関わることで、人々の思いに応えようという使命感がより強く生まれてくるのだと思います。
関係者インタビュー
池田西原菅原神社(熊本市西区)
伝統建築を守ることの大切さを再認識
池田西原菅原神社の本殿は明治13年に作られ、老朽化が進んでいました。平成28年4月の熊本地震によって、本殿の破損のみならず土台の石積みが崩れ、危険な状態になってしまったのです。再建に向けての話し合いも進まない中、文化財を修復している球磨工業高校の活動を載せた新聞記事のことを思い出し、直接学校へ連絡を入れたところ話が進み、修復がスタートすることになりました。本殿は新築するしかないかと思っていたのですが、価値のある建造物なのだからなるべく昔の部分を活かして修復しましょうということなり、平成31年の3月、ほぼ造られた当時のままの姿で復元されました。素晴らしい出来映えで、地域の人たちも感激していました。また、古くからある建物がこうして美しく再生されたことで、伝統建築や文化財は守っていかなくてはならないと、改めて気付かされました。県内に伝統技術を学ぶ生徒がいるということを頼もしく思います。
広崎神楽社(上益城郡益城町)
被災者の心の拠り所になった本殿
平成28年4月の熊本地震で、甚大な被害を受けました。この辺りの家屋はほとんど全壊し、広崎神楽社の本殿も全壊しました。しばらく手付かずのままでしたが、地区の関係者がたまたま人吉市へ行く機会があり、帰りに参拝した青井阿蘇神社で、地元の神社が被害を受けたことを話しました。球磨工業高校の生徒たちが、細川藩家老の松井家にゆかりのある祠を教材として修復しているので相談してみたらどうかと紹介されました。そこで高校の方へ連絡し事情を説明したところ、修復した祠を譲り受けることになり、平成30年1月、生徒たちの手で組み上げられて広崎神楽社に設置されました。この祠は明治の初め頃の建築で、宮大工の優れた技が随所に使われており、できるだけ新しい部材は使わず補修したそうです。再建された本殿が、地震で大変な思いをした地元の人々の心の拠り所となり、復興への後押しとなったことは間違いありません。